雑草の素晴らしさ

いつも同じところをジョギングしていると、飽きが生じてきてしまうものです。そこで私は時折、あえて田んぼのあぜ道を走ったり草むらを走り抜けてみたりと面白い工夫をしてみたりします。

走りにくいですが、これが結構楽しいのです。車では絶対に通れない道ですから、自分が知っているエリアでも、人の足でなければ進めない場所へと進路をとると、思いがけない発見が成されたりするためです。

「お、こんなところにでるんだ!」「こんなところに池があったのか!」など、新しい発見が出来ると、自分の住んでいる土地はまだまだ知らないところがたくさんあるのだなと考えさせられてしまいます。

休みがあるとみんな車に乗って遠くに出かけてしまうものですが、たまには近くをジョギングやらサイクリングで周ってみるのも悪くないですよ。想像以上に自分の住んでいる土地は面白さを秘めていると絶対に気がつくはずですから。

私はこうやって近所を探索をするのが好きなのですが、探索するたびに1つ問題を生じてしまいます。それは、草むらに入るたびに雑草の種が体中についてしまうことです。

特に脚にはびっしりとついてしまいます。草むらから出ると脚が緑色一色に染まっているなんてことはしょっちゅうです(笑)。大抵の種は手で払えば取れてしまうのですが、中には1つ1つ丹念につままないと取れないというしつこい種もあり、困ってしまいます。

このような雑草の種は厄介なものですが、ある意味感心もしてしまいます。自らの種を広めて生き長らえるために進化したということですから、それは素晴らしいものです。

草たちがそのような進化を辿ったということは、草にも生存本能がしっかりとあるという証拠です。それが働いて、種を第三者に運んでもらうことを考え付いたという事は、自然の神秘です。

人間にはそのような進化は見られません。何か不備が生じれば自らの体ではなく、道具に頼ってしまいますから。そう考えると人間の生存本能というのは、自然の中に生きる生命と比べたら足下にも及ばないことでしょう。

小学生の頃、理科の先生が雑草の素晴らしさについて力説していたことを思い出しました。「雑草のような人間になりなさい」と先生は言っていました。今、その意味がよく理解できます。雑草のようにひたむきに成長しなさいという意味だったんですね。


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